ゲーミングに関わって40年、サイエンティフィック・ゲームズのアジア副社長兼執行役員のケン・ジョリー氏は、アジアゲーミング業界の進化を最前列で楽しんできた。
スロットマシンの中の仕組みを初めて知ってから40年、ケン・ジョリー氏にとってその興奮は衰えることがない。
「私たちは、他の人が遊びに行く場所に仕事をしに行くんです」そうジョリー氏は言う。「面白い言い回しでしょう。ここは刺激的な業界です。今日に至るまで、ダイナミックで興味深い。そして私はまだその一員であることを楽しんでいます」
最近では、61歳のジョリー氏は業界で最も認知されている人物の一人になっている。1989年にオーストラリアのスロットマシン大手のアリストクラートでキャリアをスタートさせ、その後2010年にシャッフル・マスター(SHFL)に移ったジョリー氏は、SHFLが2013年にバリー・テクノロジーズに買収された時、そして世界のゲーミングシーンに真の帝国を創り出した12カ月後のサイエンティフィック・ゲームズによるバリーの買収時、共にその動きの真っ只中にいた。
その分野に関する彼の経験は時宜にかなったもので、最初は技術者から始まり、その後すぐに営業へと移ったジョリー氏は、アリストクラートでの31年間に、オーストラリアやニュージーランドから米国、ヨーロッパまで世界各地に赴任した。
しかし、ジョリー氏がそのレガシーを築いてきたのはアジアだった。
ジョリー氏は、アジア市場への初進出についてこう説明する。「2001年はロンドンで1年間過ごしましたが、その頃マカオでは、(カジノ)法が改正されているところでした。そしてアリストクラートはアジアにオフィスを持っていなかったのです。
会社はオーストラリアからマシンを持ってきていましたので、アジアに行ってオフィスを開くチャンスを与えてくれたのです。驚くほど素晴らしい機会でした。我々はマカオ、そしてアジアの残りの地域でアリストクラートのマーケットシェアを60%近くにまで広げました。非常に大きな成功を収めました」
また、独特の課題が次々と押し寄せる市場において、ジョリー氏は急激に知識をつけていった。
ジョリー氏はこのように振り返る。「マカオでは、コンセッションの導入前はその市場のスロットマシンには焦点が当てられていませんでした。
SJMのネットワークに800台か900台のマシンがありましたので、課題の一つはスロットがその市場で上手くいくというメッセージを伝えることでした。世界の他の場所ほどまだ大きなマーケットではありませんが、確実に成長しており、特にマスの部分に置いてその価値を証明しています」
ジョリー氏は、文化の違いに適応し、なじみのない環境でビジネスを行うことはさほど難しい事ではなかったと言う。
「アジアオフィスを開設して運営するよう言われた時は不安がありました。アジアには、ビジネスがストレートに進まないという悪いイメージがありました。しかし、自分が率直かつ正直であるようにし、周りの人に何が起こっているのかを知らせれば、ビジネスは世界の他の場所と全く違わないということに気が付きました。
誠実さと行きたい場所への道筋を定める能力が全ての基にな っています。自分の信念を曲げないことが大切です。当初予想していたよりも簡単なことでした」。
マカオはそういった初期の時代から大きく歩みを進めた。SJMが2001年の独占営業の終わりにかけて保有していた800台から、現在はマカオのコンセッション保有6社全体で1万7,300台ものマシンを稼働させており、年間約150億マカオ・パタカ(約2,100億円)ものGGRが稼ぎ出されている。
「2004年のサンズ・マカオの開業を思い出します。マカオ初のアメリカ企業運営のカジノでした。オープン自体もかなり特別なことでしたが、同時にそのカジノへの訪問客の数が本当の意味でマカオを変えました」ジョリー氏は語る。
「誰も、そのカジノが成し遂げたほどのことができるとは予想していなかったと思います。サンズ・マカオの開業の前には、道を挟んだ場所にあるワルドの開業があり、その場所を通じた売上高は桁外れで、世界中でそんな数字を聞いたことがある人などいませんでした。それこそがまさにマカオは中国人が多数を占めるゲーミング地になる始まりだったのです」
ジョリー氏は、アジアのスロットマシンビジネスの進化において主導的な役割を果たしてきた。それはマーケットを拡大させたということだけでなく、サイエンティフィック・ゲームズに加わることによってこの地域に別の大手企業を連れてきたという点においてもだ。同氏はまた、成長過程にあるASEANゲーミング市場の教育にも関わってきており、カンボジア、ベトナムそしてラオスなどの国は益々洗練されていっている。
ジョリー氏は、「彼らは競争力を与えてくれるテクノロジー、システム、そしてそれらシステムにおける進歩を求めています。それは10年、15年前にはなかったことです。そしてアジアの全ての市場が同じ道をたどっています。よりプロフェッショナルになり、そして非常に前向きな方向に進んでいます」と分析する。
では、ジョリー氏は業界への自身最大の貢献は何だと考えているのだろうか?
同氏は、「長年にわたって、多くの人がキャリアをスタートさせるにあたって重要な役割を果たしてきたと思いたいです。例えば米国での私の役割の中で、アメリカ市場で6人の研修生をスタートさせ、彼ら全員が今でもゲーミングで高い地位についていると思います。

働くには楽しい業界ですし、私はこれまで働いてきた企業にとって自分が価値ある存在であったと確信しています。アジアのサイエンティフィック・ゲームズで働く中で私がしてきた仕事によって、彼らが向かう先にいくらかの影響力が持てればと思います。
我々には未来に向けた計画があります。継続してアジアのビジネスを成長させること、そして日本市場です。その点に関していくらか役に立てると確信しています」と思いを述べた。