SGゲーミングのプロダクトマーケティングマネジャーとして最近マカオに降り立ったジェイソン・トーマス氏が、フィリピンから新天地へと移るまでのこれまでの道のりについてIAGに語ってくれた。
オスカー・ギハーロ:ご自身の経歴について教えていただけますか?ジェイソン・
トーマス: フィリピンのマニラ出身で、つい最近マカオへと移 ってきました。ここに来てまだ3カ月です。私は実際は中国系フィリピン人です。祖父母が中国の福建省出身で、後にマニラへと移住しました。おそらく1940年代か50年代頃だと思います。ですので、両親はマニラで生まれました。父は事業家で、母は父をサポートしていました。現在兄妹たちは全員家業を営んでいますが、私は違う道を選びました。企業に就職するという道を選び、それが私が今ここにいる理由です。
OG: マニラでの少年時代はどういったものでしたか?
JT:デラサール大学聖ベニルデ校の経営管理学部でマーケティング管理を専攻して学士号を取得しました。好きな科目は、ブランド管理とマ ーケティングリサーチです。全ての業界の全ての会社にはマーケティングでの高い競争力が求められるという風に考えているために、マーケティング業界に身を置きたいと思っていました。
OG: ゲーミング業界に関わることになったきっかけは?
JT:実際、初めて就職したのがゲーミング会社でした。ただしその会社はRPGゲームなどのコンピューターゲームの会社でした。その業界で5年間働きました。その後、別の業界に移ろうと思い、マーケティングコンサルティング会社に就職しました。その会社はパブリック・リレーションズを専門としていて、そこで1年間働きました。そこから、ソレア リゾート &カジノへと移りました。ソレアは非常に積極的に求人を行っており、私は友達に誘われて入社試験を受けました。試験はオープン前の求人事務所で行われていて、施設はまだ何も作られていませんでした。建設現場の状態でした。
でも興味をそそられましたので、イベントやプロモーションを手掛けるチームの中にあるカジノマーケティング部署に入りました。そこに3年間所属して、最初に配置されたのがスロット事業でした。ほとんどのスロットプロモーションを私が行っていました–実際はサイエンティフィ ック・ゲームズのEBS(エリートボーナススイート)を使って。これが私がゲーミング業界に入るに至った経緯になります。
OG: ご自身の仕事で最も刺激的なことは何ですか?
JT:ゲーミング業界に来てからまだ5年経っていません。まだまだ知らないことがたくさんあります。フィリピンの外にはさらに大きな世界が広がっています。今はここマカオで、アジアのゲーミングが今後どうなっていくかに関する大まかなアイデアを集めているところです。しかし、まだ世界というものがあります。まだまだ見るべきもの、そして知るべきことがたくさんあり、会うべき人がたくさんいます。
OG: そこから次の質問へとつながります。マニラと比べてマカオはいかがですか?
JT:面積に関して言えば、マカオはフィリピンよりも小さいし、マニラ首都圏よりも小さいと思います。マカオにはマニラよりもリラックスした雰囲気があります。まだ3カ月しか過ごしていないからかもしれませんが。
マカオの好きな部分の一つに、彼らが遺産を大切に守ってきたことがあります。マカオの歴史地区はお気に入りの場所の一つです。私の人生でやりたいことリストの中に、世界中のUNESCO世界遺産を見るというものがあります。死ぬまでに全てを見られるかはわかりませんが、マカオにはかなりの数の世界遺産があります。
OG:仕事以外の時間は何をするのが好きですか?
JT: 働いていない時は、とにかく寝て、食べています。寝ることと食べることがトップ2ですね。でも若い頃は、非常にアクティブな人間だったんです。ですので、3番目はアクティブであろうとすること。 若い頃は1つの場所にとどまっていられませんでした。あちこち走り回っていました。今は、週に3回ジムに通うことを心がけています。
OG: 食べることが好きだとおっしゃいました。マカオで最もお気に入りのレストランはありますか?
JT:マカオには美味しいレストランがたくさんあります。マカオ料理に中華料理、そして美味しいポルトガル料理のレストラン–1つを選ぶのは大変難しいですが、マカオに来るようになってから、MGMコタイにあるジャニス・ウォンに通っています。マニラから友人が遊びに来るといつもそこに連れて行って、コーヒーやデザートを頼んで、話をしながら雰囲気を楽しんだりしています。
OG: 10年後にはどこで何をしていると思いますか?
JT:10年後には、おそらくバミューダ諸島かラスベガス、またはシドニーのサイエンティフィック・ゲームズで働いている気がします。