Inside Asian Gaming

IAG JAPAN MAR 2020 90 “When they askedme to set up and run theAsia office, I was concerned. There was a stigma about Asia that business wasn’t straight up and down,” he continues. “But I’ve found that if you are straight-forward, honest and let people know what’s going on, then business is no different than anywhere else in the world. “It is all based on integrity and your ability to set course for where you want to go, as long as you stick to your guns. It was easier than I initially expected.” Macau has come far since those early days. From the 800 machines held by SJM towards the end of its monopoly in 2001, today Macau’s six concessionaires operate a hefty 17,300 machines between them, raking in annual GGR of around MOP$15 billion (US$1.86 billion). “I look back to the opening of Sands Macao in 2004, which was the first American-run casino in Macau. While the opening itself was pretty special, I think the visitation to that casino really changed Macau,” Jolly says. “I don’t think anyone expected the casino to do as much as it did. Prior to the Sands Macao opening was the launch of Waldo across the road, and the turnover through that place was extraordinary – no one in the world had heard of numbers like it. That was really the beginning of Macau becoming the Chinese-dominated gambling destination.” Jolly has played a leading role in the evolution of the slot machine business in Asia, not only by growing the market, but by bringing another major player into the region by joining Scientific Games. He has also helped educate the growing ASEAN gaming markets, with nations like Cambodia, Vietnam and Laos becoming increasingly sophisticated. “They’re looking for technology, systems and advances in the systems that will give them a competitive edge,” Jolly observes. “That really didn’t IN FOCUS ありました。アジアには、ビジネスがストレートに進まないという悪 いイメージがありました。しかし、自分が率直かつ正直であるよう にし、周りの人に何が起こっているのかを知らせれば、ビジネスは 世界の他の場所と全く違わないということに気が付きました。 誠実さと行きたい場所への道筋を定める能力が全ての基にな っています。自分の信念を曲げないことが大切です。当初予想して いたよりも簡単なことでした」。 マカオはそういった初期の時代から大きく歩みを進めた。SJM が2001年の独占営業の終わりにかけて保有していた800台から、 現在はマカオのコンセッション保有6社全体で1万7,300台ものマ シンを稼働させており、年間約150億マカオ・パタカ(約2,100億円) ものGGRが稼ぎ出されている。 「2004年のサンズ・マカオの開業を思い出します。マカオ初のア メリカ企業運営のカジノでした。オープン自体もかなり特別なこと でしたが、同時にそのカジノへの訪問客の数が本当の意味でマカ オを変えました」ジョリー氏は語る。 「誰も、そのカジノが成し遂げたほどのことができるとは予想 していなかったと思います。サンズ・マカオの開業の前には、道を挟 んだ場所にあるワルドの開業があり、その場所を通じた売上高は 桁外れで、世界中でそんな数字を聞いたことがある人などいませ んでした。それこそがまさにマカオは中国人が多数を占めるゲーミ ング地になる始まりだったのです」 ジョリー氏は、アジアのスロットマシンビジネスの進化において 主導的な役割を果たしてきた。それはマーケットを拡大させたとい うことだけでなく、サイエンティフィック・ゲームズに加わることに よってこの地域に別の大手企業を連れてきたという点においても だ。同氏はまた、成長過程にあるASEANゲーミング市場の教育に も関わってきており、カンボジア、ベトナムそしてラオスなどの国は 益々洗練されていっている。 ジョリー氏は、「彼らは競争力を与えてくれるテクノロジー、シス テム、そしてそれらシステムにおける進歩を求めています。それは 10年、15年前にはなかったことです。そしてアジアの全ての市場が 同じ道をたどっています。よりプロフェッショナルになり、そして非 常に前向きな方向に進んでいます」と分析する。 では、ジョリー氏は業界への自身最大の貢献は何だと考えてい るのだろうか? 同氏は、「長年にわたって、多くの人がキャリアをスタートさせる にあたって重要な役割を果たしてきたと思いたいです。例えば米 国での私の役割の中で、アメリカ市場で6人の研修生をスタートさ せ、彼ら全員が今でもゲーミングで高い地位についていると思い ます。 働くには楽しい業界ですし、私はこれまで働いてきた企業にとっ て自分が価値ある存在であったと確信しています。アジアのサイエ ンティフィック・ゲームズで働く中で私がしてきた仕事によって、彼 らが向かう先にいくらかの影響力が持てればと思います。 我々には未来に向けた計画があります。継続してアジアのビジ ネスを成長させること、そして日本市場です。その点に関していくら か役に立てると確信しています」と思いを述べた 。

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